本を読む。
音楽を聴く。
外の景色を眺めて、よく観察する。
一つ一つの事を、感覚的にも論理的にも捉え
何故自分はこう感じるのか、思うのか、考えるのか、その根本を探る。
馴れてくると自分なりの「答え」に素早く到達出来る。
直感だけではなく、筋の通った話で他人に説明も出来る。
なかむら
2010年5月1日土曜日
エゴについて
制作や表現に関する事で「エゴ」というのを、ネガティブなイメージで使用する人をよくみかけます。
利己的、自分勝手という意味でよく使われているイメージです。
「エゴ」というのは「自我」という意味です。
「自我」というのは「意識や行為をつかさどる自分の主体」という意味です。
ですので、あらゆる人が関与する表現物は「エゴ」のもとに構築されています。(それが例え自分以外の誰かのためにつくられたものでも「誰かの為につくりたいというその人のエゴ」になります。)
よって「それはエゴだよ」といわれたら「エゴですがなにか?」と返答してもらって問題ないと思います。
ただそれは「自意識過剰な作品」に対して「自意識過剰」だと批判された時に使えるものではありません。
あしからず。
なかむら
利己的、自分勝手という意味でよく使われているイメージです。
「エゴ」というのは「自我」という意味です。
「自我」というのは「意識や行為をつかさどる自分の主体」という意味です。
ですので、あらゆる人が関与する表現物は「エゴ」のもとに構築されています。(それが例え自分以外の誰かのためにつくられたものでも「誰かの為につくりたいというその人のエゴ」になります。)
よって「それはエゴだよ」といわれたら「エゴですがなにか?」と返答してもらって問題ないと思います。
ただそれは「自意識過剰な作品」に対して「自意識過剰」だと批判された時に使えるものではありません。
あしからず。
なかむら
2010年3月1日月曜日
2010年2月5日金曜日
2010年2月2日火曜日
空中ループ-オンガクノ光EP-
2009年12月29日火曜日
「日本人はアートを買わないからダメだ」
「制作」と「業界」はある程度切り離して考えるべきで「業界に認められるために」という動機で作品を制作している人に対して何か歪んだものを感じるのと、そういう人ほど「日本人はアートを買わないからダメだ」みたいな事を言ってるようなイメージがあります。
それに対してちょっと違うなという気持ちがあり、そしてその気持ちのありかはどこにあるのかというと、それって「もっとアートを買って俺を養え」っていうエゴや価値観みたいなものをアカデミックなニュアンスで押し付けられてる気がするっていうのと、果たしてアートを買わない日本人がダメなの?という事です。
余計なお世話じゃい、欲しけりゃ買うよ、っていう事であり、じゃあ何故日本人がアート作品を買うっていうのに積極的でないのかっていうと、たぶん日本人が好きなのは、自ら風流を感じるためのものや、生活の中に溶け込みやすいもの、例えば風鈴やししおどし、ふすまや食器、貝を支持体にしてあるようなものや、詩集や作品集的な或るふとした瞬間に見て、あらいいわねって思うようなものだと思うわけで、もともとある宗教観や民族的な感受性みたいなものを無視して「だからダメなんだよ」的なニュアンスで言っている人がいたりすると、ちょっとまって、と思いつつ、今から忘年会に向かいます。
なかむら
それに対してちょっと違うなという気持ちがあり、そしてその気持ちのありかはどこにあるのかというと、それって「もっとアートを買って俺を養え」っていうエゴや価値観みたいなものをアカデミックなニュアンスで押し付けられてる気がするっていうのと、果たしてアートを買わない日本人がダメなの?という事です。
余計なお世話じゃい、欲しけりゃ買うよ、っていう事であり、じゃあ何故日本人がアート作品を買うっていうのに積極的でないのかっていうと、たぶん日本人が好きなのは、自ら風流を感じるためのものや、生活の中に溶け込みやすいもの、例えば風鈴やししおどし、ふすまや食器、貝を支持体にしてあるようなものや、詩集や作品集的な或るふとした瞬間に見て、あらいいわねって思うようなものだと思うわけで、もともとある宗教観や民族的な感受性みたいなものを無視して「だからダメなんだよ」的なニュアンスで言っている人がいたりすると、ちょっとまって、と思いつつ、今から忘年会に向かいます。
なかむら
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